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教科書には載っていない 日本史歴史人物の「結婚事情」 小泉八雲編

投稿日時:

yakumo

小泉八雲

(1850~1904)明治時代の小説家・英文学者。

帰化前の名前は「ラフカディオ・ハーン」来日して教鞭をとる傍ら日本研究にも励み、日本への深い愛情がこもった随筆や論文、創作が多数執筆されている。

サムライの娘との結婚

ハーンがアメリカの特派員として来日したのは明治二十三年(1890年)4月のことでした。
横浜、東京で数カ月過ごした後、チェンバレンの紹介で島根県の松江中学校の英語教師として赴任しました。
その翌明治二十四年にハーンは風邪を悪化させて寝込んでしまいます。
その時に身の回りの世話をしたのが後に妻となる「セツ」でした。
セツは松江藩士の娘、サムライの娘でした。

ハーンは明治二十九年念願の帰化が認められ妻の小泉の姓から「小泉八雲」と改名しました。
八雲は古事記に出てくる古い歌で「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」からとったものです。
ちなみにこの歌は、日本最古の和歌だそうです。

意味は「雲が何重にも立ちのぼり、雲が湧き出るという名の出雲の国に、八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼっている。
妻を籠らすために、私は宮殿に何重もの垣を作ったが、その八重垣を巡らしたようだ。」

現代語にすると、「幾重にも重なる八重に湧き出る雲が八重垣となる出雲の地において、私は妻と共に住む」と読めます。

夫婦生活を送るにあたって、出発点である出雲を取ったのですね!(島根県は旧国名で出雲国と呼ばれていました。)

妻セツの語る民話や伝説

ハーンは近代文化の波で日本人が忘れかけた民話や伝説を『怪談』として、世に送り出した人物です。

この際に妻セツの果たした役割は大変大きなものでした。

セツは古本屋を走り回り、日本の昔話の本を探しては読み、覚え、ハーンに語って聞かせ貢献したのです。

妻子を深く愛したハーン

ハーンは相手がどんな有名人でも学者でも、卑怯者や偽善者であった場合は遠慮なく叱り飛ばす人物でした。
それは家庭生活にも表れています。

弱い者いじめや偽善を心から嫌い、自分の子供が悪さをしようものなら容赦なくコッピドイ目にあわされたとのちに長男が出版した本で語っています。

その一方でハーンは子供達を心から可愛がりました。

ハーンとセツは四人の子供に恵まれました。

夕焼けになると子供たちと一緒に「夕焼け小焼け」と歌ったり、海辺では「開いた開いた何の花が開いた、蓮華の花が開いた」と無邪気に子供たちと遊んでいたようです。

寝る前にはいつも「パパ、グッドナイト、プレゼント、ドリーム」という子供たちに対し、「ザ、セーム、トウ、ユー」または日本語で「良き夢みましょう」と答えていたそうです。

純粋で繊細な八雲を支えた妻セツ。

互いに支えあう姿がとても美しい夫婦ですね!(●^o^●)