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教科書には載っていない 日本史歴史人物の「結婚事情」 近藤勇編

投稿日時:

isami

近藤勇

(1834~1868)新撰組局長。

天然理心流・近藤周助の試衛館で剣術を修行し、近藤家を継いで家元となる。
文久三年(1863)、浪士組を組織し、京都守護職の指導下で尊攘派取り締まりに活躍した。
戊辰戦争の際、下総で捕らわれて刑死する。

身分違いの町道場主に嫁いだ武家の女

近藤勇は本名ではないことは皆さんご存知でしょうか?幼いころの名前は「宮川勝五郎」。
天然理心流の剣術を学び、修行を重ねていたころ、町道場を営んでいた近藤周助にその腕を見込まれ、養子になったのです。
そのころから近藤勇と称するようになりました。

勇が結婚したのは二十七歳の時です。
松井八十五郎の長女ツネを妻として迎えることにしました。

ツネと結婚するまで、勇は何度も見合いをしています。
その理由は美しすぎるから。(;一_一)え?っとなる理由ですね。

勇は道場主です。多数の人が出入りするところに美人で色気のある女性はふさわしくないと考えていました。
ツネはというと、容姿は普通で性格は、非常につつましく、誠実な人に見えたそうです。
ツネは武家の娘であったため、知性も教養も兼ね備えていました。
近藤にとって理想の女性だったのですね(●^o^●)
身分違いの結婚でしたがツネが当時では晩婚の二十四歳だったことも影響していたようです。

夫の出世

近藤夫妻は裕福とは言えない生活を送っていましたが、長女タマを授かり幸福を感じていました。
しかし、勇は幕府が募集していた「浪士組」に加盟すると生活は一転します。
門弟や食客とともに京都へ向かい、数か月で帰ってくる予定がそのまま京都に残ることを決意したのです。
これが新撰組の出発点になりました。
その後新撰組は池田屋事件で名をあげ多忙な毎日を送ります。
ツネが再会できたのはなんと一年半後でした。
翌年、その翌年も勇が江戸へ帰ってくることはありませんでした。
やがて勇は局長の旗本に取り立てられます。
夫の出世により、生活する上で十分な送金を受けていました。
しかし、その心は夫を想う気持ちでいっぱいだったことでしょう。

残された妻子

慶応四年、一月、鳥羽伏見の戦いに敗れた新撰組は海路を江戸に帰還します。
そんな船中で勇がこんな言葉を残しています。
「妻子との再会は叶わぬものとして覚悟していたが、いざ会えると思えば、それを喜ぶ自分がいる。慚愧の至りです。」
勇も妻子を想う心情があったのです。

江戸にもどった勇は妻子との再会を果たしたものの、それは途方もなく短い期間でした。
四月二十五日、勇は板橋で斬首されたのです。

私が仕えるのは近藤勇だけ

夫を亡くしたツネはその後大変な生活を送ることになりました。
その中で再婚をすすめられることもあったようですが、「私に二夫に仕えろと言うのか!」と号泣したそうです。
近藤勇との深い絆がうかがえます。
武家の女・勇の妻という矜持がそうさせたのでしょう。
武士は二君には仕えないのです。
悲しくも感動的なエピソードです。
ツネは五十五歳でこの世を去りましたが、勇と並んで墓碑が建立されたそうです。